ポール・オショネシー
インタビュー記事
以下は、ロンドンで発行されているワールド・ミュージック専門誌
なお、データ補足や構成の変更を一部行った。 |


豪快さと繊細さ、絶妙のブレンド
ポール・オショネシーはアイルランドでも特に優れたフィドラーの一人で、豪快で力強い演奏と繊細で微妙な表現力の両方を併せもっている。バリエーション豊かな演奏をするが、その微妙なフレージングの変化と技の巧みさを聴きわけることができれば、その魅力に心躍らされることだろう。曲についてもよく知っていて、ドニゴールだけでなくスライゴーやクレアの音楽についても詳しい。またよく知られた曲の別バージョンを演奏することもある。それがどこかで聴き覚えたものなのか、あるいは彼自身のアレンジなのか定かではないが、いずれにしても彼の音楽性の高さを証明する素晴らしい演奏だ。 元チーフテンズのホイッスル・プレーヤーで「アイリッシュ・パイパーズ協会」の(前)会長であるショーン・ポッツは、ポールがイーリアン・パイプスの課題曲である「ゴールド・リング」をフィドルで演奏しているのを聴いて、こう言った。「彼はパイプのための曲の魅力をフィドルで最大限に引き出している。パイパーでもこれだけの演奏が出来る者は少ない。」 ポールはフィドラーはもちろん、フルート・プレーヤーやイーリアン・パイパーの演奏からも多くのことを学びとる能力に優れているのだ。 母親のパール・オショネシー(旧姓マクブライド)は、ダニー・オドネルやミッキー&ジョン・ドハティがいる頃のドニゴールで音楽を身につけていった。また彼女は女性ばかりのグループ「マカラ」で、現アルタンのマレードなどと共にフィドルを演奏し、2つの素晴らしいアルバムを残している。(メンバーは他にも、コンサーティーナのメアリー・マクナマラ、フルートのキャサリン・マケヴォイ、フィドルのモイア・ブラナック、モーリン・フェイ、現プロヴィデンスのジョアン・マクダーモットなど、そうそうたるメンバーが在籍していた。) オショネシー家にはフィドラーが多く、妻のキャシー、将来有望な娘二人と息子、皆フィドラーだ。弟のトムはフルートを吹くが、楽器を演奏しないのはポールの父親だけである。 |
| クラシックからトラディショナルへ 若い頃のポールはクラシックのヴァイオリンを習っていたが、演奏していたのはいつもジグやリールだった。アイルランドにはクラシックの訓練を受けた演奏家も多くいるが、同様に伝統音楽も満足に演奏できる人はほとんどいない。狭い了見では、その両方ができるとは想像もできないだろうが、チーフテンズのマーティン・フェイやナリグ・ケーシーはその数少ない代表格だ。確かに正式なクラシックの訓練を受けると、しっかりしたフィンガリングや力強いボゥイングを身に付けることはできるが、多くの場合、楽譜の呪縛から逃れることは難しい。しかしポール・オショネシーは違う。彼の幅広く豊かな伝統音楽に対する理解は、実際の演奏から得たものである。 「わたしはもともと12歳になるまでの5年間クラシック音楽をやっていた。その後のある夏、ドニゴールのキャリックでジョン・ドハティに会ったんだ。そのパブで彼は中心人物だったよ。みんなが彼に話しかけ、『この曲はご存知ですか? じゃぁ、これは?』と質問責めだったが、彼は難なく答えていた。1973年頃だったと思うが、彼は70歳代に入ったところで、とても素晴らしい演奏をしていた。当時わたしはフィドルの演奏は上手くできなかったが、ティン・ホイッスルは吹いていたんだ。彼の演奏を聴いてから、もうクラシックには戻らないって決めたんだ。」 彼は普段、音楽を選り好みすることはないが、ドニゴールにいる時は別だ。「郷に入れば郷に従え」で、その時ばかりは当地のレパートリーを好んで演奏する。そのことがアルタンに迎え入れられる契機にもなるのである。 |
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アルタン参加からソロ活動へ 彼の最初の録音は、アルタンの故郷でもあるドニゴール北西部で行なわれたアイルランド語のフェスティバルでのものだった。ゲール・リンのアルバム「Slógadh 78」 (CEFS 066) に、「Jenny's Welcome To Charlie」というリールの録音を残している。 「1978年16歳の頃、ドニゴールのラナファストであった『Slógadh』という フェスティバルに参加したんだ。そこでコンテストの勝者を録音したアルバムをつくることになって、わたしの他には、歌のイアルラ・オ・リオナード、イーリアン・パイプスのミック・オブライエン、コンサーティーナのメアリー・マクナマラ、フィドルのマーティン・ヘイズがいた。」 ポールの次の録音は、当時よく一緒に演奏もしていた友人のマレード・ニ・ウィニーとフランキー・ケネディのバンド、アルタンとのものだ。力強く艶のあるフィドル・サウンドはドニゴール音楽の醍醐味である。89年、90年、92年と3枚のアルバムに参加した後、バンドを去ることになる。 アルタンのアルバム (左より) Horse with a Heart (1989) The Red Crow (1990) Harvest Storm (1992) 「70年代と80年代、キャシーとわたしはドニゴールで多くの時間を過ごした。フランシー・バーンやコン・カスィディなんかが全盛期で、フィドルの演奏に溢れていたよ。そんな1977年頃にラナファストでマレードとフランキーに会ったんだ。わたしと弟のトムは彼らと一緒にラジオ番組に出るように頼まれたこともある。その後わたしが大学に通っている時に、二人がダブリンに出てきたんだ。最初、彼らの演奏するドニゴール特有のちょっと変わったリールやハイランドなんかはよく知らなかったんだけど、2回も聴けばどんな曲でもすぐに覚えられるから問題はなかった。86年頃だったかなぁ。そして88年頃アルタンがバンドとしての活動を始めた。それから4〜5年一緒にツアーに出たりしていたんだ。」 アルタンを離れた経緯をたずねてみると、「そう、当時フルタイムで参加しないか聞かれたんだが、ローンもあったし子どももまだ小さかったからね。フランキー・ケネディの病状も快方に向かっていたんだ。確かにフィドル3本とフルートの演奏は最高だったが、フルタイムとなるとねぇ・・・ そろそろ潮時だと思ったんだよ。」 |
| ベギニシュ結成 ベギニシュは、そのポール・マクグラタン、ノエル・オグレィディ(ブズーキ)に、ケリー出身のブレンダン・べグリー(アコーディオン&歌)が加わって1997年に結成された。ダブリンは確かに大きな都市だが、まるで小さな村のようなものだ。ほとんどの人が知り合い同士で、上手くやれば音楽的にも社会的にもとても興味深い結果が得られる。何世代もダブリンに住んでいても、もともとの出身地の色はなかなか抜けないものである。こと伝統音楽に関しては、それぞれの地域のスタイルが混ざり合い、独特な味わいが生まれる。そういう意味では、ベギニシュはケリーとドニゴールのダブリン・ミックスと言える。パトリック・ストリートやスカイラークと同様、それぞれのメンバーはソロとしての活動も盛んで、それがさらにバンドとしての底力になっている。 (左) Beginish : Beginish (1998) (右) Beginish : Stormy Weather (2001) (ブレンダン・べグリーもソロ・アルバムのリリース、テレビ番組のホスト、ボーイズ・オブ・ザ・ロックへの参加と多彩な活躍をしている。兄のシェーマス・べグリーも優れたアコーディオン・プレーヤー、歌手で、ギターのスティーヴ・クーニーとの素晴らしいデュエット・アルバムがある。) 「ブレンダンはポール・マクグラタンの学校の教師だった。お互いよく知っていて、一緒に演奏もしていたんだ。わたしもブレンダンと演奏したこともあったし、ノエルとは「Within A Mile」で一緒にやった仲だ。ブレンダンもポールも今はフルタイムで音楽活動をしている。ポールは演奏家としてもフルート講師としても引く手数多だよ。彼とは多くの曲のバージョンが共通していたんだが、奇遇にも二人ともジョン・イーガンがそのソースだったんだ。彼はジョンの近くに住んでいて曲を教わっていたし、わたしが習った母もかつてジョンと一緒に演奏をしていたんだ。」 ジョン・イーガン(スライゴー、リバータウン出身)は長くダブリンに住んでいた有名なフルート・プレーヤーで、珍しい曲を上手くセットに盛り込んで演奏していた。 「1988年に亡くなったジョン・イーガンは、ダブリン北部に住んでいた。彼はジョン・ジョー・ガーディナーやハリントン夫人などの偉大なプレーヤーと一緒にケーリー・バンドで演奏していた。彼らは30〜40年代に録音を残し、ラジオ番組にもよく出ていた。ジョン・イーガンは、チャーチ・ストリートやセント・メアリーズ・ストリートでの有名なセッションで演奏していた。弟のトムとわたしは、よくそのセッションに通っていたんだ。当時のダブリンは、今ほどセッションが盛んじゃなかった。パブの2階に部屋が用意されていたんだが、他の客の迷惑になるからと、足でリズムをとることもできなかったんだよ。話に聞いたんだが、それでも40〜50年代に比べたら、まだましになったそうで、当時伝統音楽は『古臭くて変な音楽』と思われていたから、家族が近所から変な目で見られないように、コートの下に楽器を隠して外に出たそうだ。」 |
| ソロ・アルバム ベギニシュとしてツアーやフェスティバルの出演で忙しくなっても、ダブリンやドニゴールのパブでのセッションに戻ってくることを、彼はずっと忘れずにいることだろう。 ジョー・クレイン (fROOTS誌) |
| No Image | Slógadh 78 |
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| ポールのインタビューにあった通り、ドニゴールのフェスティバルでの録音。16歳のポールの他には、イアルラ・オ・リオナード(現アフロ・ケルト・サウンド・システムの歌手)、ミック・オブライエン(パイプス)、メアリー・マクナマラ(コンサーティーナ)、マーティン・ヘイズ(フィドル)など、そうそうたるメンバーが参加しているらしい。(未聴) |
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VA : The Fiddle Music of Donegal (Vol.1) |
| ドニゴールのフィドラーを集めた3枚シリーズの1枚目。ポールは、マレードの父親などのベテランや若手に混じり、3トラック演奏している。どれも臨場感あふれる生々しい無伴奏録音。ドニゴール・フィドルの魅力を最大限に引き出した、素晴らしいシリーズ。 第2集にはヴィンセント・キャンベルやジェームズ・バーン、第3集にはダーモット・マクラフリンやジミー&ピーター・キャンベルなどが参加している。 |
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The Set (Music for Four Complete Sets) (Vols.1,2&4) |
| 基本的にセット・ダンスのための録音で、1枚につき4つのセットが踊れる。コーク、ケリー、クレアのセットがあるが、ポールは、ブレンダン・ベグリー(アコ)、ポール・マクグラタン(フルート)といったベギニシュのメンバーや、ニーリー・マリガン(パイプス)と共に、主にクレアのセットの演奏をしている。尚、ポールは3枚目には参加していない。 | |
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VA : lámh ar lámh (many hands) |
| とにかく、ここでは語り尽くせないほど凄いアルバム! タラ・ダイアモンドも参加。 |
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| Harry Bradley : as I carelessly did stray... | |
| 今回一緒に来日したハリー・ブラドリーのソロ2枚目。ポールは、1トラックのみ、リールのセットに参加している。 |
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Gay McKeon : Irish piping tradition |
| ダブリン出身のイーリアン・パイパーのソロ・アルバム。ヒューズで一緒にセッションしている仲間たちが参加。ポールの他には、メアリー・コーコラン(キーボード)、トム・マクドナー(ブズーキ)、ポール・ドイル(ギター)に、二人の息子もパイプスを演奏。 | |
| An Ghaoth Aduaidh / The North Wind Solo Flute playing from the Irish Tradition |
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| フランキー・ケネディー・ウィンター・スクール10周年を記念して、フルートのアルバムがリリースされた。参加者は、リフィ・バンクス・トリオの3人をはじめ、凄いメンバー揃い。それぞれが無伴奏のフルート・ソロ演奏を聴かせてくれる。 Harry Bradley, Briain Ó Domhnaill, Gary Hastings, Conor Byrne, Gerry O'Donnell, Marcus Ó Murchú, Matt Molloy, Desi Wilkinson, Hammy Hamilton, Clodach Nic Ruairí, Paul O'Shaughnessy, Tara Bingham (Diamond), Paul McGrattan |